2007年3月29日 (木)

息子の死

”そのうち書きます”と宣言してからずいぶん時間が経った。日々の雑多なことを優先してしまうのと、私自身と向き合うのが怖いのと、その両方。私が直面してきたことなのに、だからその時々のほうがずっと怖い想いをしてきたのに、今更「怖い」もないもんだと思うのだけど。

「グループの長をしてもらえないか?」 いくつか上の上司からの打診に4つの理由をつけて断った。理由の3つは、そのとき担当していた仕事がおもしろくて手放したくなかったから。1つは、子供が先だと考えてたから。20人の面倒なんてみれないや、が本音だったけど、さすがに挙げなかったっけ。

3つの理由は「長をしたって続ければよい」と却下された。ただ、1つについては「応援したい。2年の猶予を与える」と、執行猶予がついた。とってつけた理由が正当となったのを不服にも感じたが、女性が極端に少ない部署でそういう扱いをしてくれる上司たちに感謝もした。

与えられた2年が過ぎようとして、私は焦っていた。子供はいつか‥とは思っていたが、その後も会社に堂々と戻ってこられるだけの実績をつくりたかった。実績‥できただろうか? 私の年齢も考えなくてはいけない。

幸運にもすぐに妊娠した。コンピュータ関係の仕事で、2000年問題が起きず、ホッとしたお正月だった。

蝉の声がやけに耳についた。「子宮口が柔らかくなっているので来週か再来週ぐらいかも」と医者に言われてから4日が経っていた。

「最初に撮る写真だってお化粧したいよなぁ。お化粧したまま出産したらいけないのかしら?」 お腹の痛みを抱えながらもアイシャドウをバッグへ入れた。

「入院して1時間でもちゃんと夕食って出るんですね。」「そんなこと、言ってられなくなるわよぉ。さっさと食べなさーい。」 看護士さんと始終笑いあって夜を迎える。

「お腹の子の心拍が下がってる。すぐに帝王切開します。ご主人に来てもらってください。」

その夜、心拍の下がるのは2度目だった。一度目は「よくあることだから‥」と診察さえなかった。じきに回復したので、よくあることなんだろう‥と納得したつもりだった。 訳がわからないまま手術室に運ばれ、下半身麻酔を受ける。切られた痛みではない。恐ろしさに耐え切れず悲鳴をあげる。「この人、眠らせてっ。」

ぼんやりと灯りは感じるが何も見ることができない。誰かいる? 誰かいるの? 力を込めて発音してみる。「一樹は? 一樹はどこ?」 「一樹は生きてるのね?」

「今、先生に診てもらってるからね。」 
「違う。一樹は生きてるのよね?」
「一樹は今、先生に診てもらってるんだよ。」
「違うの。一樹は大丈夫だったのよね?って聞いてるのっ。」
「‥ 一樹、ダメだったんだ。」

へ? どういうこと?

「生きてるの?」と質問していながら私は「生きている」以外の返答を期待していなかった。

「目ぇ、覚めちゃった。。。 どういうこと? 一樹は生きていないの?」

医者から「麻酔が覚めるまで3時間ほどかかります」と夫は言われたらしい。まだ30分しか経っていなかった。ぼんやりと夫の顔が見え、すぐに私は眠りに落ちた。

タオルにくるまれた一樹が運ばれてきた。

身動きできない私の腕に抱かせてもらえる。「やっと会えたね。ずっと会いたかったんだよ。」 私は嬉しくて嬉しくて涙を流した。「生きてるじゃない。この子、生きてるじゃないのぉ。ほら、目、開けてごらん?」

一樹は夫の腕に抱かれた。彼は辛くて辛くて涙を流した。現実をとらえた涙だった。

そう、私は現実が何なのか、このときまだわかっていなかった。

手術から10日が経って家に帰った私を待っていたのは小さな骨壷だった。私は初めて声をあげて泣いた。骨壷を胸に抱いていつまでも泣き続けた。

地獄の始まりだった。

(つづく。 なんだか疲れちゃった‥)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年1月 5日 (金)

私のこと 其の1

これを書くべきかは本当に迷っている。

元々やっていたサイト「彩庵」でも告白しようかどうしようか‥迷いに迷ってまだ実現していない。

書いても「公開」にはならないかもしれない。でも、私の気持ちをまとめるにも一度文章にはしたいと思っている。

あらすじ:

1. 初めての子供を分娩時に亡くした。6年前のこと。

2. ショックから数々の精神病を患い、会社を辞めて、引きこもった。

3. 妊娠するも流産を繰り返す。何度もあちこちの病院で検査を受けたが「異常なし」と言われる。流産は5回にのぼった。

4. これで最後と決めて別の病院で検査を受ける。初めて「異常」がわかる。50%の成功率だが対処法がある。

5. 妊娠して、その対処法治療を受けながら妊娠を継続する。双子であったこと、今までの経緯などから分娩までいきつく可能性は10%程度と断言される。

6. 出産は無事にできた。双子の育児とはとんでもなく大変。

7. 息子たちは現在13ヶ月となり、私にも少し時間ができてきた。ピアノを習うことを再開、このブログもスタートしてみた。 引きこもりの5年間、私を支えていてくれたのはピアノとホームページを介しての人との出会いだったから。

こんなとこかしら。自分と向き合うのってキツイね。「其の2」はまたいつか書きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)